日本には、90年代まではアマチュアゲーム開発者が確実にいて、そうした人たちがゲーム業界に参加していくことで、産業は大きく成長していった。
その象徴とも言うべき存在が、1982年に創刊された電波新聞社の「マイコンBASICマガジン」(通称「ベー マガ」)だ。現在のようにインターネットがないなかで、プログラムを配布する手段の一つが、雑誌の中にプログラムのコードをそのまま印刷して販売するとい う形だった。
ベーマガは一般読者からのプログラムの投稿を受け付け、それを毎月選別して雑誌にしていた。雑誌の購読者は自分の持っているマイコン用に書かれたBASICプログラムを直接入力し、ゲームを遊んだ。
これはプログラミングを学習する基礎的な環境を提供した。読者はプログラムを直接入力し、改造したりすることで、プログラム言語の原理を理解していく。ベーマガは日本中に、膨大な量のアマチュアのゲーム開発者を生み出した。その中からは事実プロに進んだ人も多い。
当時、ベーマガと競争を繰り広げる雑誌も数多く出版されており、80年代から90年代にかけて、この環境は日本 のゲーム産業が発展する人材育成面での土台として機能したと考えられる。ゲーム開発現場の主力である今の30代ぐらいの層の人たちには、ベーマガに載った プログラムをマイコンに入力してゲームを遊んだ共通体験がある。
ところが、ベーマガは90年代後半になり、インターネットでプログラムを配布できるようになったことで勢いを失い、03年には休刊した。
そうした流れでアマチュア開発者がゲームを学習するための環境が日本では消滅したのだ。消費者向けのゲーム機は仕様がオープンではなく、一般のユーザーは内部の仕組みを学ぶ学習手段がまったくなくなってしまった。
ユーザーはゲーム会社に入るか、ゲーム機メーカーと直接契約をして開発機材を持っている一部の専門学校に入らな ければ、ゲームの作り方を学べなくなった。環境がなければ人は育ちようがない。日本のアマチュアゲーム開発者は激減していき、ゲーム開発は難しいものに変 わった。
「ベーマガ2.0」が日本のゲーム産業を救う
「ベーマガ2.0」が日本のゲーム産業を救う
みうじゅん
情報処理産業だけじゃなく、職業すべてに言えるかもしれませんね。
家で工作するのが好きだったとか、料理が好きだったとか。
それにしても、ベーマガ休刊してるんですね。
昔アンケートはがきの通信欄になんか書いたら、プログラムコーナーの欄外に載ったことがありましたw
hiroya
こと、プログラムに関して言えば元記事の通りというか、要するに入り口が無くなってる感じがあるんですよね。そう言う意味では料理とかはまた別問題じゃないでしょうか? 小学生、中学生が気軽に趣味として取り組むには敷居が高すぎるというか。学生時代に何の体験のないまま職業として選択して・・・という状態と、学生時代にある程度の経験があって・・・という状態では、明らかに入り口が違ってる気がします。 近年インド人のプログラマのレベルが高いという話を聞きますけど、それも80年代に盛んに教育の現場にコンピュータを導入したことや、その時代のコンピュータが(8bitだった事もあって)プログラミングの敷居が低かったことなどから、入り口として機能したことがあったと思うのです。 果たして、日本のIT産業はどうなるんでしょうか? このまま競争力が落ちる一方なのか・・・。