ブログの考え方

考えずに書くことも、また真ではないか?


「パブリックな場に意見を申しているっていう」考え方について、納得いかないから、あえて書いてみるけど。ブログって本来の役割というか、 考えると「個人が思ったように、日記の如く毎日かける」ってのが良いところだし、やっぱり、ちょっとだけ感じたことをありのままに書くことが一番いいこ と。って思う。何のネタでもいいけど、テレビ見ながらツッコミ入れる位の勢いで書くことに意味があるんだよねーって思ってて、炎上とか、批判とか、まして や売るためにとかそう言うことはお呼びじゃない訳。炎上する位のネタ(もしくは批判を受ける話)であれば、静的Webページとして書いて思う存分受ければ いいし、売るためであれば集客力のある「広告」ページであればいいだけの話だし。じゃないと名無しさんで掲示板に書き散らすだけになっちゃうからね。(で も批判はしないつもり。だってラジオでもテレビでも匿名での投書ってのは許されるでしょ)インターネットの健全性について言ってるつもりだけど、「商用広 告」であればインターネットを利用して宣伝するのは邪道なんだと思うのだわ。最終的には「個人」が思ってることを意のままに書き込めなきゃダメだと思うの だわ。ちょっと考えて欲しいのが、お金を払ってインターネットを利用しているという事実はあるけど、接続権以上のサービスを得てないという事とそもそもイ ンターネットってのは「つながり」の為に生まれたってこと。とはいえある程度考えて使いなさい。というのが学術としての起源だし知らない子はArpaネッ トの起源を良く学ぶといいのだわ。初期は軍事介入もあったけど、その後は色んな大学が「学術という名目」で頑張って、自由な発言を尊ぶ文化を創ろうとした のだわ。今となってはそれほどの金銭的負担も無くなった代わりに、失ったモノも多いのだわ。色々な考えの人が、色んな意見を言えることが一番いい。そうい う考え方があっても良くない?考えてみて欲しいのが、「言論統制」。淘汰とは違う。でも少数意見から見ると淘汰という事実はその過程に於いて多かれ少なか れ言論統制的な何かを含む気がするのだわ。決して社会主義マンセーって訳じゃ無いけど。とにかく、中国の言論統制には納得いかない。という事と大多数の意 見に淘汰される少数意見という事実をごちゃまぜにして書いてみた。というアタシはビール2リッター以上飲んでるからこそ、書けるんだけどね。こういう話が 何年先まで言えるのか、が、自信無い部分なのだわ。と適当にテキストを書いてみる。


と、酔っぱらいが黒い文面を書いたらどういう事になるのか?という実験なのです。釣られた人が居たら楽しいなぁ・・・。