ちょっと考えさせられる

  • 投稿日:
  • by
PC Watchの「山田祥平のRe:config.sys」に一生もののPCという記事があった。

ぼくらの生活が、ハイテク機器への依存度を高めるに従い、モノへの愛着や郷愁感のようなものはどんどん希薄になっていく。昔は、ハイテク機器などな くて、他のものがその機能を代替していただけで、ハイテク機器への愛着などどうでもいいのかもしれない。それに、椅子や机が提供する機能は、今も昔も変わ らず、慣れ親しんだ道具への愛着は今もある。最初はなかったのだから、それが失われてもかまわないのかもしれない。

 PCは常に新しい機能を追加し、拡張しながら進化してきた。処理性能の向上もその1つだ。でも、ここ数年、新たにできることが増えてはいない。5 年前のPCと最新のPCを比べたときに、できることの違いはそんなにない。XPがVistaになり、ユーザーエクスペリエンスは向上したかもしれないが、 できることが新たに増えたわけではない。

 今後、この傾向が続き、5年先になってもできることが増えていなかったとしたら、PCもまた、万年筆や椅子、机のように、普遍的な道具になるのだろうか。ちょっと考えたくない未来ではある。

という風に締めくくられた記事だが、逆にものに愛着を持って使うということは、ものを大事にすると言う事だし、もったいないという気持ちにもつながると思うのだけど。いわゆるハイテク機器(家電とかも含む)は一生ものと呼べるものはなかなか存在しない。個人的には一部電子楽器の類は古いものでもそれにしか出来ない事があったりするので、大事に使ってたりしますけど、PCなんて消耗品以上の扱いにはならないですよね。この記事のように例えば、何年も同じスペックのPCが現役で居られたとしても、ある意味4〜5年で壊れる事を前提に作られているものだし。(HDDのMTBF等) 少なくとも一生ものと呼ばれるのであれば半世紀、いや4半世紀でもいい、それ位使い込めるものである必要がある気がする。